北陸の峠道



臼ケ峰往来(志雄越え)



「歴史の道百選」に選ばれている「臼ケ峰往来」は「志雄越え」とも呼ばれ、能登は志雄町と富山県氷見市
との境にある。今日は志雄町側から昔の姿を残している遊歩道を30分ばかり歩いて臼ケ峰へと向かう。

万葉の昔、越中に赴任した大伴家持が、初めて能登巡行のとき(天平20年・748年)に通った志乎路(しを
じ)は、この峠道を経由したと云われる。平家物語には寿永2年(283年)に木曽義仲が平氏を討つために
ここを通ったと書いてあるらしい。また、親鸞と法然も越後へ流された折り、ここに足を留めたと言い伝えられ
ているとのことだ。



風は少し冷たいが晴天に恵まれ、広くて歩きやすく整備された道を、しっとりとした杉の枯れ葉を踏みしめて
ゆっくりと歩く。立派な竹林が道沿いにあったりして、筍は採れるのかなと思ったりする。「もうそうちく」と名札
が下がっている。いろいろな木々にも名札が下がっていて勉強になる。大伴家持は、ここを馬子に引かれた
馬に乗って通ったのかななどと想像しながら歩いたのである。

急に目の前に氷見市の眺望が開ける。そして万古の雪をいただいた立山連峰が連なって見える。そこが峠
だ。峠を示すしっかりととした標柱があってうれしい。



大伴家持の歌碑がある。かなまじりと思ったら実は全部漢字で書かれているのだ。これまで見て来た家持の
歌はみんな「かなまじり」であったように思うのだが? これでは声を出して詠むわけにもゆかないのだ。
「志乎路加良 直越来者羽咋之海 朝凪之多里 船楫毛加毛」 
意味もいまいち判らない。終わりの「船楫毛加毛」はなんだろう。



階段があって小高くなった処が臼ケ峰の頂上で、芝生の上にベンチが置いてある。そこで白いアルプスを眺
め、うぐいすの鳴き声を聞きながらお弁当(途中で買ってきた太巻きと稲荷の詰め合わせ)を食べる。なんと
心地よいひとときだろう。家持でなくても歌の一つでも詠んでみたくなろうというものである。

江戸時代には将軍代替わりの度に、幕府の巡見使の一行がここを通って加賀へ又は氷見へと往来した。そ
のためこの路は「御上使往来」とも呼ばれた。一行は総勢120人前後にものぼり、氷見は田江にあった御上
使宿本陣の安達屋で昼食をとったという。大変なことだったと思う。大きな旅館だったのだろうか。

山上は広々として公園の様になっており、氷見市側には展望台やバーベキュー施設、トイレ等があり、車で
登って来ることができる。でもここは歴史の道なのであるからして歩いてくるのが相応しい。当時の趣を味わう
には氷見市の小久米から歩くのがお勧めなのである。


(’00−04−01)






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