北陸の峠道
深坂峠
しっとりと情緒漂い万葉のロマン溢れる古道である。昔のままに残されていると
云うのが素敵だ。道案内の標識も判りやすく、国道8号線から161号線に入って
間もなく、新疋田駅を過ぎた所で案内に従って左の細い道へ入る。深坂の集落を
抜けた所から、この古道は始まる。
まず、深坂古道の説明板で始まる。古代における越前・近江国境越えの道は、
愛発(あらち)山越えと海津山越え(深坂越え)とがあり、後者は敦賀市追分から
滋賀県西浅井町沓掛に至る約4.5kmの古道であり、標高は約370mとある。そし
て,深坂越えの初見は万葉集だそうである。
ゆっくり歩き始めると,まず苔むした道,苔むした石が目に付く。どこかの名刹の
庭を歩いているような雰囲気なのである。沢の流れの音を聞きながら、時には沢
の流れを見ながら、時には細い丸太3・4本で組まれた危なげな橋を渡る。
あちこちに荷下ろし石だろうか、上が平らな適当な大きさの石が点在している。後
ろ向きになってよっこらしょと荷物を置いて休む、そんな光景が想像される。通り
過ぎてはまた振り返っても見る、その様な道なのである。
途中紫式部と笠朝臣金村(かさのあそみかなむら)が、この峠を越えた時に詠ん
だ歌を紹介した説明板がある。
長徳二年(996)頃、紫式部が父藤原為時とともにこの峠えを越えたときの詞書
(ことばがき)と歌
塩津山といふ道のいとしげきを 賤の男のあやしきまどもして
「なおからき道なりや」といふを聞きて
知りぬらむゆききにならす塩津山 世にふる道はからきものぞと
(紫式部集)
この頃紫式部はまだ若かったと思うのだが、やんごとなきお方の言葉は難しい。
峠には「深坂峠あれこれ」という説明板と中部北陸自然歩道の説明板があるだ
けだが、滋賀県側は林道が来ていて古道の姿はなく、少し下がったところに深坂
地蔵のお堂や休息所、トイレなどがある。
林道に車が一台止まっていて、年輩の女性がお堂の中でおまいりしていた。灯
明がいくつも点いていた。他には中年の男性が一人と私だけだ。
平安末期、平清盛の命を受けて平重盛が琵琶湖と敦賀を結ぶ運河を計画しここ
で試掘をしたところ、地蔵が掘り出され工事を中止する原因になったと云われる
。そのため「掘止めの地蔵」とも呼ばれており、子を思う親の願いをかなえてくれ
ると云う。この塩津街道は塩の道とも云われ、お供えも塩が多かったのだろうが
今は塩害があるため塩はやめて欲しいとあった。
滋賀県側にも20分位下ってみたり地蔵堂の裏山へも登った。後で判ったのだが
環境保全林の管理歩道というよく整備された山道で、小さな頂きまで往復一時間
も掛かった。なんの標識もない頂上で昼食とした。今日はブドウパン一塊と魔法
瓶の紅茶だけだ。福井から高速を使わないでやって来たし、今日は1円も使わな
くて済みそうだ。紅茶はぬるかったけど、でも、ゆっくりと味わって食べるブドウパ
ンが美味しい。ここは峠からちょっと足を伸ばすには良いコースだと思う。
峠からの帰りは,さらにゆっくりと古道の雰囲気を満喫しながら1772mの道のり
を下ったのであります。
('00/01/15)