北陸の峠道


奥山峠


いきなり能登の峠である。その訳は志賀町の隠れ家のすぐ近くだからなのだ。
能登有料道路の西山インターから山手に向かって5.6km,10分程の所である。
峠の向こう側は田鶴浜町になる。和倉や七尾に通ずる。私は,この道を利用し
たことは一回しかないが、志賀町側に較べ田鶴浜側は、あまり良い道ではなか
ったような記憶がある。

峠にはお地蔵さんがあるだけで,取り立てて言うことはないが、石碑には「南無
地蔵大菩薩 文化十年 ¤ あすみ」とある。あすみは安津見地区のことか。¤ は
読めないのだ。


(峠のお地蔵さん)
北陸電力企画の本「北陸の峠」によれば、上杉謙信が七尾城攻めで、この峠を
進軍したそうである。何処から来たのか知らないが、ここから七尾城まででもか
なりある。そこを何千人もの兵が食料を携えて進軍したなどとは,現在では想像
もつかない。

峠のすぐ手前を「隠れ家とその周辺点描」でも触れた「峨山道」が横切っている。
峠に向かって左の方の道は広い砂利道で、少し歩いてみたが,弁当の食べがら
やカップ麺の食べがらが捨ててあり、由緒ある歴史の道もこれでは情けない。ど
うしてゴミを持ち帰らないのだろうか。やたらに車が通れるようにするのも考えも
のだと思う。昔のままの、修験者達が行をした道を歩いてみたいものである。

もっと里の方へ下ったところに、「霊水・一貫清水不尽の水」という水が湧き出て
いる所があり、昔から旅人が喉を潤したとある。道から10m程下にあるのだが
こんこんと湧き出ていると云う風情ではなかった。樋から流れ落ちているだけだ。


(不尽の水の所の祠・右端に見ずらいが石碑)
志賀町はコロ柿が特産である。峠に行く道沿いの家々の二階に,縄に吊された
沢山の柿を見ることができる。街のコロ柿のお店のおばさんと話しをしたが、この
おばさんは、奥山峠と云う名前を知らなかった。しかし、勿論「不尽の水」は知っ
ていて、いつのことか不明だが、村長の奥さんが亡くなられた時、そこに碑を建て
たと云う。
確かに古びた石碑があり「嘉永三年六月二十九日、南無妙 ¤ ¤ ¤ ¤ ,安津見・倉
垣 両構中」 とあった。(構の字は推測です)加茂村と呼ばれた頃のことなのか
もしれない。花を供えたのだろうか、コップやジュースの空き缶が供えてあり、水
が溜まっていた。


(コロ柿を作っている所 二階が多い)



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