北陸の峠道


須上坂−丹後街道の小峠

丹後街道は、越前敦賀から丹後の宮津辺りを結んでいた街道で、今は国道27号線が、ほぼ旧街道を
なぞる形で通っている。今回 須上坂へは、敦賀から27号線で、手前に三十三間山登山口の大きな看板
のある倉見峠を越え、安賀里地区を過ぎてPLANT2の処の陸橋を渡った。コンビニの信号を右へ戻るよう
にして700mばかりで左手にダイカポリマーの工場がある。昔は、この工場のある処を丹後街道が通って
いたのだろう。多分、安賀里から川沿いに道があったのだと思う。


「石書法華塚」 右端の黄色い看板の処から工場の横の道へ

橋の袂に「石書法華塚」と刻まれた経塚があり、その前に車を置かせて貰う。その経塚は、よく見なかっ
たのだが、「西小浜、東津るが南京、北鳥羽谷の道と志るべし」と刻まれてあるとのことだ。工場の右横の
道へ入り、丁度工場の裏手に須上坂への登り口がある。送電線の巡視路の印しがある。


道は荒れている

 道は荒れている。だが、峠の標高が90m程しかないので、すぐに峠に着いてしまう。汗をかくヒマもない。
一応は尾根の鞍部となっていて、尾根上には送電線の巡視路が通っている。尾根歩きが楽しめそうな感じ
がする。峠には巡視路の例の赤い矢印が三方を指している。それ以外は何もない。


須上坂の峠 左から登って来て右へ降りた 階段は尾根上の巡視路 後ろにも同じように階段がある

向こう側へ下るが、やはり道は荒れている。すぐに大きな樹木の無い斜面の上に出る。目の前に大きな
工場が幾つもある。若狭テクノバレーと云う工業団地だ。 左へ降りると最後はしつこい笹藪が数十mあって
 金網にぶつかる。ちゃんと扉が開く様になっていた。これで須上坂は終わりなのだ。ものの20分か25分だ。


                                    峠を越えるとテクノバレーが拡がる
 
しつこい笹藪をくぐり抜けると金網で囲われていた こちらから登ろうとしたら迷っていたかも

 須上坂は工場と工場の間にあって目立たない。本で紹介されているので、たまには訪ねる人もいるだろう。
ポリマー側は送電線の巡視路への登り口でもあるので消えることはないと思うが、テクノバレー側はすでに
消えつつある。近くに展望台と思われるものが造られていたが、ついでにこの古道も整備して欲しいと思う。


波古神社 鳥居、拝殿、本殿と続く

街道は堤集落内の由緒ある波古神社に続いていたというが、今は全く道の面影はない。 波古神社から
街道は堤集落の中を通り抜けて北川の橋を渡り、日笠集落の東端でJRの踏切を渡る。この辺りが丹後街道
と若狭街道の分岐点だったらしい。道しるべが建っている。その石柱は場所を移されたとかで 現在は向きが
違っている。 「左 北国えちぜんみち」は読みとれるが、「右 志由ん連以みち」は、「右」と最後の「みち」しか
読みとれなかった。「右 巡礼道」という意味とのことだ。


日笠のJR踏切傍にある道しるべ

 (’07年 1月 4日)
2万5千分の1地図「遠敷」 峠の標高 約90m 詳しく知りたい方は「福井県歴史の道 調査報告書第2集」や
「新・わかさ探訪」をご覧下さい。波古神社についても、詳しいホームページがありますので検索して見て下さい。

追記:下記のurlに、集落内の丹後街道沿いにあったお地蔵さんの写真と場所を載せておあります。
http://blogs.yahoo.co.jp/y_ogawa_99/25117805.html
http://ogawa39.sakura.ne.jp/090329hakogatake.htm

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「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)
及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。    (承認番号 平17総使、第657号) 」

この地図上の経緯度線は日本測地系にもとづいています。下図は2万5千分の1の縮尺ではありません。
等高線をハッキリ表示させるために拡大してあります。

000地点近くに経塚、001は登り口、002峠、003金網の処、004波古神社入口付近 001の数字が重なっている建物はダイカポリマー工場