瀧谷寺の略縁起ー参拝のしおりから
当山は南北朝の永和元年(1375)紀州根来寺の学頭、睿憲の創建かかる真言宗智山派に属する
名刹である。当時この地を支配していた奈良大乗院が寺領五百石を寄進し、伽藍の造営を助け、以来
朝倉、柴田、松平氏など、越前歴代領主の祈願所として栄えた。四万五千平方米の境内地は、町指定
の自然環境保全地区であり、参道の杉木立、柴田勝家寄進の鐘楼門、国指定名勝瀧谷寺庭園をはじ
め国宝、重要文化財も数多い。本堂には泰澄大師作と伝えられる薬師如来を本尊に、独特の古建築に
よる観音堂には、理源大師(醍醐寺開山)作の如意輪観世音菩薩をお祀りし、古くより越の国観音霊場
として、また近年は北陸観音霊場と北陸白寿観音霊場と多くの信仰をあつめ、宝物殿には国宝、重要
文化財をはじめ数百点にのぼる仏画、古文書類が保存されている。
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寺宝「幽霊の片袖」の伝説ー瀧谷寺物語(秘史と伝説)から
実在のお家の名前も出ることから、そのままの文章を載せるのがよいのでしょうが、
意味の判りづらい仏教用語も含まれていましたので、簡単にまとめさせてもらいまし
た。お許し下さい。
今から340年程前の寛文年間のこと、ある夜和尚がふと目を覚ますと、枕元に若い美しい女性が立って
いました。そして「私は、煩悩の妄念のため成仏出来ずにさまよっています。なにとぞ師のお導きによって
成仏出来るようお助け下さい。」という。和尚が「何処のお方か」と訊ねると、女性は「福井の半井家の娘
です。」と言う。
そこで和尚は懇々と世の無常を説き、御仏のお慈悲にすがって速やかに煩悩の迷いを捨てて成仏するべき
ことを諭した。女性は有り難い御説法を聞き、迷いも晴れて安堵した様子だった。和尚が「もう大丈夫か」と
問いただすと、女性はその証に白いじゅばんの袖をちぎって形見に残して去ったという。
夜が明けると、早々に福井の半井家から使いが来て、葬式に来て貰いたいという。
和尚は昨夜のことを半井
家の主人に話した。驚いた主人が棺桶を開けてみると、遺骸に着せたじゅばんの片袖がなかったという。それ
以来、この形見の品は「幽霊の片袖」といわれ、寺宝の一つになっている。
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