古寺&お地蔵巡り
越智山 大谷寺
越之国観音霊場第三十三番札所
福井の山に登る人には馴染みの深い、越の大徳泰澄大師の開創になる1300年の歴史を誇る北陸
屈指の古刹だ。泰澄の杜(温泉)の近くにある。
ピンボケで見にくいですけど
大谷寺 鐘楼の隣の白壁は宝物殿
門をくぐってお寺の下足棚の処から中を覗き込むと、動きを感知して奥の方で何やらメロディが流れている。
すぐに年配の女性が出ていらして、上がってお詣りして下さいとのことで靴を脱いで上がり込むことになった。
そこでこの方から30分ばかり色々なお話を伺った。泰澄大師については全国各地に大きな足跡を残されて
いるのに、確実な証となる物が少なくて、架空の人の様に扱われている面があり残念な事だという。盛時は
1000坊を数え、福井の松平公の祈願寺だった。それで住職は駕籠に乗って福井の本丸までお経を読みに
行ったという。今は使われてないその道の名残が少し先にあった。「右ハふくい」だけが読みとれる。
故に檀家を持たなかったため、殿様がいない時代になると住職は居づらくなり、頻繁に入れ替わり
長くて3年短い人は3ヶ月程で去って行ったとのことで、名前の記録も無い住職もいるそうだ。明治
の神仏分離令により、ここは大きな打撃を受け、この坊だけが残った。元は庫裡だった建物だ。
「越」にまつわること、ハスの繊維で織った曼陀羅の話や、沢山の秘仏があること、島寺の名前の
由来等々多くのお話を聞いておいとました。それから泰澄大師の廟所を見てから、立派な標識が
あるので参道を登ってみた。標識は立派だが参道は荒れたところがあった。15分程だが虫とクモ
の巣に見舞われる。後で判ったのだが、林道を車で上れるので、この道も荒れるはずだ。
参道を登ると途中左手奧に別山の御堂があり、さらに登ると越智山本地仏となるのだが、御堂には
越智山大権現とだけある。手前に鐘楼があってその後ろは現在発掘調査が行われている所だった。
この越智山大権現の左手に小さな御堂があるが、「越の国三十三番札所案内」によれば、これは
杖立にあった金堂(こがねどう)を移したものとある。しかし、お寺の方に聞いたところでは、金堂にあ
った仏像は預かっているが、金堂については杖立の近くの「森」という処に移されているとのことだ。
この金堂は越の国三十三番札所の第一番札所で、納経印は第三十三番大谷寺と同じだそ
うだ。ところが第二番札所も同じ印で越智山大権現なのである。
参道を登ると越智山大権現がある
大谷寺から県道184号線別所朝日線に下り杖立へ向かうと、上糸生の森地区で左側に金堂の標識が
出ている。小さな橋を渡りガケに突き当たると上の方に何やら見えるのが金堂(こがねどう)だ。大谷寺
の住職さんは、今でも毎年1月18日にはお詣りされているそうである。
今日は越の国観音三十三札所の内、第一番、第二番、それに第三十三番と三つの札所を見てきたこと
になる。帰りに雑誌や新聞記事のコピーなども頂いたし、泰澄についての講演の案内も頂いた。色々と
知るほどに面白くなってくるようだ。泰澄伝説のある寺々を巡るのもいいかも知れない。
金堂の前は崩れやすいガケでこれ以上右側へは行けない
('05年9月23日)
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