北陸の峠道
久江原山峠(くえはらやま峠)
私の峠歩きのきっかけになった本「北陸の峠」が、背綴じのところが弱いのかページがばらばらに
なってしまった。それだけによく参考にさせて貰った。今年最初になる峠歩きは、能登の志賀町に
滞在しているので、その本の中にある久江原山峠に決めた。
この峠は、石川県鹿島町久江から富山県氷見市一刎(ひとはね)へ抜ける道の県境にある。志賀町
からは眉丈丘陵の徳丸峠を越えて行くのだが、今日通ったら立派なトンネルが出来ていて、峠には
登らずに能登部に出た。久江の集落を抜けて、堰堤の下が公園になっているところの上で、林道は
分かれる。右の未舗装の道が「北陸の峠」に描かれている道だ。
そこで地元の方にお会いしたので、歩いて登る古い道は通れるか聞くと、この道を車で行けば早い
ですよとのこと、しばらくお話をして、この道を歩いて登り、帰りに旧道を下って此処へ戻るということ
にした。地図とGPSがあれば大丈夫でしょうということになった。
この林道は途中舗装してある処も多く問題なく車で登れる。ただ峠直前の少しの間が悪路だが車は
通っているらしい。 1時間ほどで峠に着く。峠は自然歩道が横切っていて、石動山8.4km、碁石ケ峰
3.5km とある。お地蔵さんがいた。ところが富山県側は、そこから二車線の素晴らしい舗装道路が始
まっていて古い道は無さそうだった。その昔、木曽義仲が能登へ兵を進めたと伝えられ、また、蓮如
上人が布教のため通ったかも知れない峠道だが、時代の流れには逆らえない様だ。
久江原山峠 上:石川県側から見る 下:富山県側から 右はお地蔵
そこで、その道路を下ってみたが、ずっと良い舗装道路で、これでは面白くないので天狗山林道へ
入りぐるっと廻り久江原山峠の西の名前不詳の峠を越え、自然歩道を歩いて久江原山峠へ戻った。
まだ11時を回ったばかりなので、峠から東へ自然歩道を辿り、送電線が県境を越える処まで歩い
て昼食とした。20人ばかりのシニアの団体が石動山の方へぞろぞろと通り過ぎて行った。私はコ
ンビニで仕入れたざる蕎麦とバナナを食べたのだが、一人だとゆっくり食べたつもりでも、ものの
15分と経たないうちに終わりとなる。此処は送電線のため切り開かれて、富山の方は海が見えて
おまけに空に浮かんだ様な雪を戴いた白い山並みが望まれた。
久江原山峠から自然歩道を東へ登るように辿り 送電線の鉄塔の下で昼食を摂った
12時頃帰路につく。地図で久江原山分とある処に二つの建物の印しがあって、点線が左について
いる。そこから旧道へ入った。すぐに道は笹を分けて歩くような心細い道となった。お地蔵のある処
に来ると、それらしい道でこれなら大丈夫かと思った途端、道は判らなくなってしまった。
だいたい
点線に沿って歩いていたが、一回だけ大きく逸れて逆の方へ行ってしまったりした。
山の中の道端の祠 これ以降は道を探すのに必死で写真は撮らなかった
湿地帯の中を通っているので道は消えている様に思えた。靴がズブズブともぐるのだから始末が悪
い。それでもどうやら沢伝いに道があるはずの処まで辿り着いた。下流に向かって沢の左を歩いて
いたが、藪で大変なので反対側を見ると、どうも上の方に道があるみたいなのだ。そこで沢へ降り
て上り返すと道があった。何やら古い道の様ではなかったが、沢伝いに下っているので方向として
はは合っている。どんどん下って行くと道は直角に曲がり沢にぶち当たってしまった。案外深い谷と
なっていて、とてもじゃないが進めない。そこで曲がった処まで戻り、覚悟を決めて曲がらずにそ
の先の物凄く急で細い尾根の続きを木に掴まって降りることにした。
ところが、降り立った処は沢が合流する間の場所だったのだ。仕方なく沢を歩くことになったが、
すぐに小さい滝で両側に足場が無い。枝に掴まり僅かな足がかりを頼りに左の壁に取り付いた。
しかし、どうなったか判らないのだが、ドブンとばかりに沢へ落ちて文字通りずぶ濡れになってし
まったのである。幸いにしてデジカメやGPSは大丈夫だった。
それから左の崖へ登りやすい処を探しながら沢の中を少し歩いて、またまた枝に掴まりながら崖を
よじ登った。予想通り今度は道らしい道があって、それを辿り間もなく林道に降り立つことが出来た
のである。車まで戻り服を全部着替えて一息ついたら3時近くになっていた。
峠の標高は350mくらいで、そんなにきつい登りはない。ただ他の道を通っても峠へ行けるので、
今日下った道が昔の峠道とは決められないかも知れないが、道端にお地蔵もあったし、多分昔使
われた峠への道だと思われる。歴史のある道も、このままでは辿るのも難しくなってしまうだろう。