北陸の峠道


細呂木峠


朝から良い天気なので、金津町と石川県加賀市奥谷町との境にある細呂木峠へ出掛ける。
細呂木バス停のところに、観音川に架かる細呂木橋があり、その橋詰めに細呂木関所跡が
ある。



細呂木関所跡

バス停の横をゆるやかに登る坂の方へ歩いて行くと道は二股となり、そこに蓮如の字が読み
とれる道標と灯籠が建っている。左は旧吉崎道、右の坂道が旧北陸道で細呂木峠へ向かう。
昔「鋸坂」とも「祝言坂」とも云われた坂とあるが、今は舗装された道が多少曲がりながら登っ
て行く。(説明の看板へ)

 

分かれ道の処にある蓮如の旧跡

坂の途中で鮮やかな黄色の尾の長い可愛らしい顔つきの動物とでくわした。生まれて初めて
目にする生き物みたいだ。たまたま2月のカレンダーの挿し絵に「キテン」とあり、冬に全身み
ごとな黄色に変わり夏毛は褐色、きわめて繊細な夜行性ゆえに目にできるのはまれだとある。
それにしても目の覚めるような黄色だった。



僅かに残る旧北陸道 タイヤの跡がいまいちである

その坂を登りきると土砂採取場なのか、無惨に草木が剥ぎ取られて見晴らしのよくなった広場
にでる。そして、かろうじて削り残されたような坂道を上ると、そこから先1300mが舗装されて
いない旧北陸道の面影を残す道となるのである。

     

往来安全の名号塔 昔この辺りに茶屋があったと伝えられる    お国境名号塔 越前へ入国する人々をお迎えして労った

ゆっくり歩いて、茶屋跡、名号塔、一里塚等を辿ることが出来た。しかし、番所跡や橘宿跡碑等
は何処か判らなくて、とんでもなく遠くまで歩き回ってしまった。3時間近くも歩いたことになる。

昔、木曽義仲が軍を進め、または敗走した峠道であり、平家の大軍もここを通った。親鸞聖人
が佐渡へ流されたときもここを越えたと伝えられる。加賀前田藩主の時代には、総勢二千人近
い参勤交代の行列が「下へ下へ」とここを通っていったのである。

しかし、その1300mあまりの歴史街道も、左側は広いゴルフ場となり、やがて旧北陸道は、
ゴルフ場の中にかき消されてしまうのである。

(’01・03・24)


         目次へ