古寺&お地蔵巡り

深山 飯盛寺
若狭観音霊場




高野山真言宗のお寺だそうです。寺務所のおばさんによれば、パンフ等はなくて寺の縁起はこの看板に
あるだけなのだという。これだけではいかにも寂しい。国指定重要文化財の本堂の説明看板と合わせて
見れば、まあまあと云うところだろうか。文化財としての本堂の梁や柱が、どうのという資料はあるけど、
専門的過ぎて判らない。



この門の両側の格子の中には、所々青色などの塗料が残っている像があります。二天立像というので
しょうか。大師堂の中には観音菩薩立像、不動明王立像、そして、本堂には本尊薬師如来座像と脇仏
に千手観音菩薩立像があるとのことです。いずれも鎌倉時代とあります。





本堂の下から一字一石経という、経典の文字を一文字ないし数文字ずつ小石に書写したものが5万点余も
見つかっているそうです。本堂の地鎮のために埋めたものとみられています。また、飯盛寺順礼札という首
に下げて携行し、参拝の証として順礼先の寺院に納めたお札もあって、4百数十年前に飯盛寺を訪れた人
の物など、いずれも飯盛寺に収蔵されているそうです。拝観料400円也を払えば見せて貰えたのだろうか。



このお寺は、一般的に云われている若狭観音霊場三十三札所とか北陸観音札所とか、その他の
北陸なんとか札所には入っていないようです。若狭国観音三十三札所というのもあるらしいのです
が、どんなお寺が含まれているのかも判りません。しかし、本堂正面の左の柱には「旧○ 西国第
十七番札所」という字が見えます。この旧○の部分が不明で、勿論、寺巡礼の先駆けと云われる
有名な西国三十三札所とは関係が無いようです。先の順礼札は美濃の方から訪ねて来た人の札
だそうで、昔から遠くまで名の知れたお寺だったので、いろいろなつながりがあったのだと思われ
ます。
ちなみに、現在の若狭観音霊場三十三札所が組織されたのは、ごくごく最近のことのようです。
やっと飯盛寺の名前を見つけたのは大飯郡内の「新秩父霊場」というものの三十番目でした。

('05年6月9日)

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