福井の小さな山歩記


鍋倉山から藤倉山(’00・04・23)


2000年度の「福井の小さな山歩記」の始まりです。

今日は余裕をもって歩きたいので近場にしました。
今庄駅前まで45分、8時30分着。街中へ歩き出したところ足がいやに軽い、なんと靴を履き替えるのを忘れたのだ。すぐに車へ引き返したが、かっこ悪い感じなのである。

宿場町の面影を残す街道を右へ10分程で「霊地八十八カ所参道」の大きな看板のある登り口に着く。横に車が4台位停められる広場があるが今日は一台もいない。
丁度9時から登り始める。すぐに道沿いに小さな石像が建っている。それが10mおき位に番号を付けられてじぐざくの道の横に立っているのだ。地蔵菩薩、釈迦如来、大日如来、○○観音菩薩といろいろある。こういうのを見ながら登ると、何故か足取りもゆっくりとなり心も落ち着いた感じになるみたいなのだ。
また所々見晴らしの良い場所に休み場が設けられて長椅子が置かれている。参拝者には年輩の方が多い為だろう。

49番目か50番目の石像で観道山弘法寺に着いた。そこから先が普通の山道となる。少し下ってから鍋倉へまっすぐに登りが続く。送電線と平行に歩く感じで、こんな所に鉄塔を建てたり太い電線を引いたり大変だななどと考えていたら、自分は工業高校の電気科卒であることを想い出した。
計算尺を使って送電線の弛みを計算したりしたのだが、卒業したら就職難で全く関係ない仕事についてしまった。

ふと後ろを振り返ったら目と鼻の先に、がっしりとした男の人がいてびっくりした。足周りもしっかりとして山男らしい。今日は足慣らしといった感じだろう。あっという間に見えなくなってしまった。
10時15分、木に鍋倉山(516m)と書いた板がぶら下がっている分岐点に着いた。天気も良く
順調だ。10分ばかり休息を取る。
そこを下って鳥山跡から登りになるが、何十メートルかにわたって道沿いに背丈が低いピンク色の小さい花が咲いていてうれしくなる。清楚な感じがいい。やがてブナ林の中の道となるが、これがまた綺麗でたまらなく気持ち良い。新芽の緑が爽やかだ。



稜線に出る手前は、酸素の薄い高山にでも登っているかのようにのろのろ歩きになっていたが、
11時15分稜線へ出たら急に元気になって、うきうきと鴬の声を聞きながら山歩きを堪能する。
11時30分藤倉山(644m)頂上。絶景である。反射版の下の芝生に座ってイカクンで缶ビールを飲む。かみさんへ携帯電話で無事到着を知らせる。かみさんはこれからゴルフだった。と、後ろで声がする。夫婦連れみたいだが、男の方がすぐに携帯電話で家に居る家族に、昨日買っておいたラーメンがどこどこに置いてあるからなどと話ている。とするとこの美形の女性は奥さんではないということか。この女性の雰囲気は何かおかしい。まあ他人のことだからどうでもいいのだが。



バーナーでお湯を沸かしていると思ったら、チキンラーメンのにおいがしてきた。私はというと子供が小さい時使った、ふたが小熊の顔をした黄色い弁当箱に、朝も食べた混ぜご飯を詰めてきたのだ。それだけなのである。物足りない。しかも、かみさんはゴルフの後、所属のゴルフクラブのグリーン委員会とかのメンバーで、食事をしながらの委員会だという。そうすると私は晩飯も一人で混ぜご飯を食べなければならないのである。

12時15分、お先に失礼と言って頂上を後にする。少し下ると光明聖寺跡へ行く道がある。私は
てっきりすぐ近くにあって、またここへ引き返してくるのだと思った。それで時間もたっぷりあるし、ちょっと寄ってみることにしたのだ。

ところが擬木の階段状の道はどんどんと下って、もう引き返すのはしんどい所に来てやっと光明聖
寺跡があったのだ。ここは白鬚神社から登ってくるコースだった。そこでそのまま降りることにする。
神社まで下りの部分はずっと擬木の階段で、これにはちょっと膝が疲れてきた。13時30分静まりかえった白鬚神社に着いた。

今庄駅前の車へリュックを置いて新羅神社と観音堂を見に行こうとしたら、山頂で会った二人連れがやってきた。男性はにこにこして、車2台で来て一台は此処に置いて、もう一台で登山口へ行ったなどと話をしたのだが、その間も例の女性はにこりともせず黙って私の方を見ているだけだった。

今日は燧ケ城跡が見られなかったのが少し残念だった。由来の書かれた観光案内板だけは見てきたのだが。


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