北陸の峠道


朝倉街道の峠小畑坂・竹簾越・鹿俣峠そして金谷峠

だいぶ前に「榎坂」と「戸の口坂」は歩いているので、今回は三つの峠を車で回り、金谷峠のみ
歩いてみた。 金谷峠はトンネルの上なので、多分旧道に近いものが残っていると思ったからだ。

小畑坂

福井市の坂下町から松岡町小畑を結ぶ坂で、車だとあっという間に越えてしまう。生憎と峠部分は
工事中だったが、掘り下げられた道路は昔の面影は探しにくい。以前は峠に石仏があったそうだが、
旧道が残っているのか知りたいところだ。






竹簾越

たけのす越えと云う。県道113号線、東山墓地公園入り口がある立派な舗装道路になっている。
福井市大畑町から松岡町上吉野へ抜ける。 小畑坂と共に朝倉街道だったのではないかと思われる。
あまりに立派な道路で昔の道など想像もできないが、途中「蹄の滝」があり、そこへ降りる処の向かいに
石仏が祀られている。蹄の滝の由来に朝倉の名前が出ていて、やはり朝倉街道だったのかなと思った
りした。








鹿俣峠

朝倉氏遺跡から一乗滝の方へは行かず西新町へ、鹿俣集落の手前で右折して東大味へ向かう。
畑地を過ぎるとすぐに峠と云う感じで石仏が祀られていた。舗装された道はぐねぐねと下る。旧道を
歩けたらもっと短く登っていたと思う。

下って行くと、昔の石畳の街道跡が一部残っていた。判るところだけでも昔の道を復元されるといい
のにと思う。

朝倉街道は東大味からは戸の口坂へ通じる。


峠の石仏


これを過ぎると下りになる


石畳の残る旧朝倉街道の一部


道路沿いのお墓


金谷峠

朝倉氏遺跡から一乗滝へ向かうと、手前で鯖江に向かう立派な舗装道路が出来ている。そこを上がる
と福井と鯖江の境に金谷トンネルがある。トンネルの上は低い尾根が続いているので、きっと峠の痕跡は
残っていると思いトンネルの鯖江側から取り付きをさがして登った。



トンネル鯖江側口の林道入り口にある祠で、峠にあったものを下ろして祀ったのではないかと思います。
下の写真は林道を200mほど進んだ処で、ここから取り付きました。もしかすると祠の右横の石段から道が
付けられて登れたのかも知れません。



最初はイバラに悩まされながらの植林のときの踏み跡かなと云う感じでしたが、すぐにジグザグの道跡
となり、割と簡単に峠へ着きました。距離は短いですから。



こんな感じの道ですが、尾根を越える峠は下の写真の様に明るい処です。左へ尾根を辿ると城山、右へ
辿ると砥山に通じています。歩く人が多いのか、長いヒモの様なリボンが沢山下がっていました。



下の写真は福井側へ下る道です。明瞭なので降りてみることにしました。しかし、これは大変でした。



暫く行くと、道には細い木や枝が折り重なって歩きにくくなり、谷へ降りる様になります。これがひどい
道?になってゆきます。朝倉の軍騎が駆け抜ける道が、崩壊し易い谷沿いにあるのはおかしいと早く
気がつけば良かったのですが、一度下りだすとなかなか戻る気はおきません。

たまには作業の人も通るし、私みたいな人も通りますから、人跡の雰囲気はあります。でもあまりに
ひどいので、右の尾根が低くなってきたのでよじ登りました。すると全然歩き易いではありませんか。



で、その細い尾根の上に、更に道跡の様なものも認められました。道跡かどうかは判りませんが。
尾根歩きはすぐに終わって踏み跡のある平地に出ました。道路が見えてほっとしました。





旧道は谷筋へ入る前に尾根筋へ入ったのか、ひょっとするとすぐにトンネルの福井側の近くに降りて
いたのが、トンネル工事で削り取られてしまって、完全に無くなっているのかなと思います。

ぐるっと回って3km強、1時間50分ほどでした。


---- GPSの軌跡です (Track Logger WPL-1000LXによる)----
「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)
を使用したものである。(承認番号 平17総使、第657号) 」
 

(’10年 5月 31日)
2万5千分の1地図 「河和田」
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