北陸の峠道
旧飛騨街道小菅峠ついでに洞山
昔は難所と言われた飛騨街道の峠で、人の肩と牛が荷物を運んだのでした。越中と
飛騨を結ぶ重要な道だったのです。 片掛は銀が産出されましたので、それらも運ばれた
のでしょう。明治19年(1886)には荷車が通れる庵谷峠の道が造られ、その役目を終え
ました。
庵谷集落内 「みきハやま道左ハたか山道」の道標 昔から此処にあったのでしょうか
庵谷からの登り口
庵谷にやって来るのは今年3回目だ。今回で総仕上げと云う感じになった。8時5分前に庵谷
集落から少し上がった処の旧飛騨街道登り口から峠道へ入る。いい道とは言い難いが、一応は
辿れる様子だ。
こういう道形が少ないのです
途中で合流する深く掘れた道
あまり古道の特徴が少ないと思って登って行くと、右から深く掘り込まれた道が合流して来た。
こちらを通れる様に整備されたらと思ったりもするが、そう簡単なことではないのだろう。40分程で
峠らしくない小菅峠に着いた。標高は400m。
小菅峠 この作業小屋の処には昔 茶屋があったそうです 洞山は右の道へ
一休みして洞山への林道を進む。 途中案内標識が地面に置いてあり、それに従って林道を進
んだのだが、尾根道に載るところを見落としたのか、道が行き止まりとなり、そこから斜面を藪漕ぎ
して尾根道に出る。
そこからは快適な尾根歩きで、10時10分に反射板のある洞山(831.8m)の山頂に着いた。
なかなか急な登りもあるし痩せ尾根なので、前回雪のとき途中で引き返したのは正解だったかも
知れない。
洞山の山頂
肉眼ではくっきりと見えていました
戻りは尾根に這い上がった処を通り過ぎてどんどんと下ると、右からいい道が登って来ている。
そこへ曲がって行くと送電線の鉄塔へ出て、そこから例の地面に道標が置いてあった処へ降りる
ことが出来た。地面に置かれた道標がおかしいのだろうか。
さて片掛への峠道だが、まずは峠からの舗装の無い林道を行くのかなと思っていたのだが、ふと
道の下を覗いたら、一段下に旧飛騨街道の標柱が建っていたのである。林道を少し道下を覗きな
がら歩いたりもしたが、結局その標柱へ下りてうろうろして、掘れた道跡を見つけることが出来た。
道路下の標柱 気が付いて良かった
この様な道が続く
こちら側は荒れてはいるが、道跡がはっきりと残っている。 あちこちと分岐して登っている道も
あって、峠道の特徴をよく残していると思った。
左の凹みが古い道、右の凹みは比較的新しい道の様だ
畑地に出ると一旦舗装された道となり、すぐに右へ入ると旧飛騨街道の標柱のある登り口に出る。
すぐ上に大淵寺があり、この舗装道路が庵谷峠に続いていて、途中銀採掘跡も見られる。
片掛からの登り口
私は大淵寺へ寄ってから片掛集落の中を抜け、道の駅細入り手前から庵谷トンネルを抜けて
庵谷集落外れの車に戻った。 このトンネルは1キロもあり、涼しかったが凄い轟音だったのだ。
庵谷集落はお祭りで、狭い道いっぱいに絨毯を敷いて笛や太鼓に合わせて祭り衣装に着飾った
子供達?が踊るところだった。そこを車で通るのも気が引けて、帰りは庵谷峠を越えて道の駅から
国道に出たのでした。
歩きだしたのは8時頃、車に戻ったのは午後2時頃、休憩を入れて6時間。歩いた距離は11km。
(’09年 4月 12日)
2万5千分の1地図 「八尾」「猪谷」
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---- GPSの軌跡です (Track Logger WPL-1000LXによる)----
「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)
を使用したものである。(承認番号 平17総使、第657号) 」