北陸の峠道
称名滝から松尾峠
松尾峠は佐々成政が厳冬のさらさら越えを行ったときに通ったと伝えられる峠だ。昭和44年の水害に
より立山温泉が閉鎖されるまでは、立山温泉と弥陀ヶ原の行き来に使われていたが、現在、立山温泉
のあった処から松尾峠までは辿れないらしい。
弥陀ヶ原の中の道はすべて木道なので、昔の峠道の雰囲気は味わえないが、峠の展望台に立って立山
カルデラを見下ろし、去年尾根伝いに峠に立ったザラ峠を眺めて見たいと思った。
飛竜橋袂の案内図 松尾峠は左上隅
称名滝のすぐ手前の飛竜橋を渡ってすぐに急崖を登る八郎坂が始まる。大正13年に造られ、立山の新道
として昭和30年代までは登山者で賑わっていたが、その後荒廃してしまったらしい。この道を復活しよう
と平成2年に修復が行われて、平成3年に開通記念登山が行われたとあった。
八郎坂登り口
称名滝の駐車場に車を停めて川の対岸の崖を見上げると、凄い所に道があるのだなと驚いてしまう。
登り初めは私達と同じ様な夫婦が前を歩いていたが、私たちは遅いので間もなく見えなくなった。滝の
音を聞きながらジグザグに登っていく。 道は石や岩が多くでこぼこ道だが、緩い傾斜なので登り易くな
っている。崩れかけている個所もあって、維持管理が大変だと思われた。
第一展望台付近から見る称名滝
数百mほど登ると壊れかかったベンチが一つある。展望台かと思ったが、第一展望台(標高1270m)
はずっと上だった。さらに上の第二展望台(標高1410m)では、休んでいたら次々と8人か9人の人達
が登って来た。ほとんどがおばさんで、皆さん元気がいい。それぞれの展望台からは少しずつ違った滝
が眺められるが、今日は水量が多いのだろう、流れ落ちる様は豪快だ。
第二展望台付近から
やがて平らな道へ出ると高原バス道路にぶつかって八郎坂は終わり弘法に着く。駐車場からの標高差
は600mで 標高1580m。そこからはすべて木道となる。私は体力が無くて遅い、2時間半のところは
3時間以上掛かるという感じだが、凄い汗をかいて脱水症状気味なのか更に脚が遅くなってきた。
途中ニッコウキスゲやワタスゲの群生地もあったが写真を撮る気もしない。12時近くなって大休止をして
カップ蕎麦やラーメンを作ったが、胃もおかしくて食欲もなく、ビールだけが美味しく飲めた。 もう途中で
でやめて、バス停でバスに拾って貰い、ケーブルカーで降りようかと思ったりしたが、サイフを車に置いて
きてしまっていた。 ガイド付きの20数人の団体とすれ違ったが、その方達は弘法で空のバスが待機し
ていて、それに乗るらしかった。
あと2.5kmくらいなので、ゆっくり歩いてもたいして時間は掛からずに峠まで行けるので、意を決して歩き
だした。 峠手前の急な階段を登っていたら、上の方から第二展望台で後から登ってきた4人連れのおば
さん達が降りてきた。もう一方の道の方が登りは楽なのだそうだ。追分から2本の道があり、松尾峠をぐる
っと廻って散策できるようになっているのだ。
松尾峠 三角点と案内図
ついに松尾峠の三角点に到着。標高1971.5mなので、標高差1000mを登ってきたことになる。展望台
はすぐ傍で、立山カルデラを見下ろすことが出来た。薬師岳も望めたし、去年歩いた鬼岳、獅子岳、ザラ峠
五色ケ原は肝心の上の方がガスに覆われていた。
立山カルデラ 左上に伸びている沢がザラ峠へ達する カメラが広角でないため一部分しか写せない
立山カルデラ側は急崖でとても道があったとは思えない程だが、危険で立ち入り禁止なので確かめること
も出来ない。でも念願の峠に立つことが出来て満足だった。あとは雨が降らないうちに下るだけだ。ちょった
体力の無さを思い知らされたのだが。
木道のそばに広がる池塘群
下りはやはり楽で、木道をたんたんと歩いたが、目をつむると目まいがして倒れそうな気がした。標高400m
ばかり下って八郎坂へ入るころになると、不思議と胃の不快感が消えてきた。途中、ガス(おなら)が沢山出
て、後ろでカミさんが断ってからにしてくれと騒いでいたが、気分は回復してゆっくりと慎重に八郎坂を降りた。
どうも標高が高くなると、身体の調子が悪くなるようだ。
あと500mという処で、例の4人連れのおばさん達が快調な足取りで私達を追い越して降りていった。登山
口に着いたのは5時半近くになっていて、朝は8時頃から歩き出したので、ずいぶんと長丁場になってしまっ
た。 弥陀ヶ原はガスに覆われ雷が鳴っているようだった。
(’06年7月23日)
2万5千分の1地図「立山」 称名滝駐車場から松尾峠まで約7.4km
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