隠れ家周辺点描


舞谷御前山

全く物好きだと言われても仕方がない様な薮山を歩いてきた。標高が367.8mしかないので歩く距離
は短いが、汗だくになって薮漕ぎをして登った。単に泰澄大師にゆかりがあるらしいと云うだけのことな
のだ。それなのに小枝で目を突いたりして、夜寝る前まで痛んで心配になったほどだ。

場所は2万5千分の1地図「松波」の左上隅に載っている。車で舞谷の集落に向かっていたら、農家の
玄関先の広場に迷い込んで、そこで耕耘機を洗っていたお爺さんに道を聞いた。丁寧に教えてくれたの
で、そこから迷わずに舞谷の集落へ無事着く。もう人は住んでないみたいで、家は2軒しか見えない。


この神社の辺りから薮漕ぎして登る

すぐそれと判る神社が見えて、家の前を通りその神社の横を登るとすぐに薮に突入する。地図にある道
は残っているかどうか判らないので、舞谷御前山の頂上を目指してほぼ真っ直ぐに登る。イバラが沢山
あるし小枝で目を突つくし、後半は急登で灌木に掴まって登り切った。カミさんは平気だが、私は汗びっ
しょりなのだ。いつもこれが不思議なのだ。


山頂の神社跡の碑

45分位掛かっただろうか頂上に着いて、すぐに「奉納御前山神社址」の石碑を見つけることが出来た。
ここにあった神社と泰澄との関係は不明だが、昔々ここに「五社権現」があって、あるとき泰澄に夢のお
告げがあって、それを石動山に移したのだと云う。石動山の五社大権現の内、「客人社」(まろうどしゃ)
は、加賀白山から勧請した白山社と伝えられており、各地にはいろんな言い伝えがあるのだろう。


山頂からの眺め 何かのんびりとした感じだった

山頂部は笹原といった感じで割と歩きやすく少しうろついてから下山とした。下りは上から見下ろすので
歩きやすいところが判りやすい。おまけに古い踏み込まれた道跡を見つけ、ほとんど薮漕ぎなしに民家
の裏の上方へ出た。しかし、民家の裏手へ来ると道は崩れて歩きにくくはあったが、昔は御前山の鞍部
を越えて寺山の集落との往来があったのだろう。

(’06年4月23日)
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