北陸の峠道


谷田部坂(峠)・勢峠

敦賀から国道27号線で小浜へ入り、後瀬山トンネルを抜け、県道222号へ曲がる信号手前の道を
左へ入るとすぐに「神明神社・八百姫神社」の登り口がある。その先に5台程停められる駐車場がある。
この道が昔「丹波道」と呼ばれていた小浜から京都へ通じる街道で、ここから始まっている。道はすぐに
県道と合流し、500m程進むと谷田部トンネルがあり、その手前左に谷田部峠への道が登っている。

標高110m程のほんとに小さな峠道で、峠道へ入って降りきるまでに20分程しか掛からないくらいの
短い距離だが、重い荷物を運ぶには急なのか、荷物は南川を利用して、峠道は人馬のみが利用したと
のことだ。最初のトンネルが大正13年に、現在のトンネルは昭和51年に造られた。


写真上:峠道への入り口          写真下:谷田部峠


道はよく利用されているとみえて歩き易く、すぐに峠に着く。壊れたベンチと形の悪い石が在るだけだ。
これだけ道が判りやすく残っているのなら石仏の一つくらいあっても良さそうなのにと思う。車を置いた
神明神社の上の方には後瀬山城跡がある。小浜はお寺や神社が沢山あるし、歴史に満ちあふれてい
るというと表現がおかしいかもしれないが、建武3年9月北朝方の斯波時家は、小浜の南朝方を攻め、
4日丹後街道の勢峠に進み、19日にはこの谷田部坂で戦いが行われたとある。

あまりあっけなかったので、尾根を偵察にと西側の斜面を登って少し歩いてみた。尾根上も歩きやすく、
どこまでも行けそうだ。きりがないのでちょっとしたピークで引き返した。

 
谷田部集落へ下って行くと崖となって途切れ、その代わりに急な階段が付けられている

峠から谷田部集落へ下る道は更に歩きやすい道だが、トンネル出口の工事で途切れたのか、擬木の
急な階段が付けられていて、ちょっと薮が生えかかった幅広の道を下るとすぐに小浜市クリーンセンター
への舗装道路に出る。これは帰りに判ったことで、往きは階段に気づかずに手前を左の細い道へ入り、
少し遠回りをして近くへ出た。それから笹藪を通って旧道は谷田部の集落へと入るはずだったが、大規
模な道路を造成中で、旧街道は完全に途切れてしまっていた。

県道へ出て雲外禅寺の前を通り、そこから少し先を右に入ると谷田寺山門、泰澄大師創建と言われる
谷田寺、山王神社に至る。雲行きが怪しくなってきたので県道へ戻り、谷田部集落の旧街道を歩いた。
道沿いには若宮八幡神社があり、造成中の道路の高い盛り土で行き止まりになるが、その手前の人家
の前に古い古いお地蔵様が祀られていた。気が付くのが遅かったのだが、雲外寺の境内の地蔵堂に、
谷田部坂にあったお地蔵様が祀られているのだそうである。


雲外禅寺

勢峠のある丹後街道は神明神社のすぐ側で分岐して坂を上り、JR小浜線、国道27号線のトンネルの
上を通り過ぎた処だ。 峠の目印は何も無いみたいだが、すぐ先には小浜湾の心地よい景色が広がって
いる。ここは谷田部坂と共に戦略的に重要だった処で、後瀬山城があった頃は、番兵がここで防備を固
めていたとのことだ。


写真上:勢峠       写真下:上の写真で車の居る処から小浜湾が広がる


しかしながら、ちょうど峠の横に、小浜清掃センターの錆びたドデカイ廃屋が不気味にそびえていて、全く
風情をぶち壊しているのだ。何とかならないものだろうか。舗装された広い道で石仏も無いとなれば、もう
誰も歴史のある峠だとは思わないのかも知れない。

ここでついに雨がぱらつきだして、後瀬山城跡を見ることなく帰ることにした。


001が消えてありませんが、黄色い国道27
    号線から入った処です。神明神社の
    駐車場です。
002:県道から峠道へ入る処
    軌跡が道路と重なっていますが実際は
    道路から離れています。
003:峠  西へ少し尾根上を散歩
004:峠を越えて降りた処
    帰りはその左手から入り急な階段を
    登りました。
005:勢峠

谷田部集落の右側の道が旧街道です。
右側の道は県道222号で、その左に一つ見えているお寺が「雲外禅寺」です。

左へ真っ直ぐ入り込んだ奧にあるお寺は「谷田
寺」や「山王神社」などです。

 「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平17総使、第657号) 」

カシミール3Dにより作成。左図の経緯度線は日本測地系で表示されています。

(’06年3月18日)
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