隠れ家周辺点描
末森城跡
宝達志水町の末森山(138.8m)にある末森城跡は、佐々成政と前田利家が戦ったので有名な処だ。
登り口のトイレのある駐車場には「末森城攻防のようす」を記した看板が立っている。 佐々成政の布陣
から、前田利家の援軍が金沢城を出発して駆けつける様子が時間を追って説明されている。
2年前の9月に一度一人でここを訪れている。その時は台風の通過した後だったのか、倒木があったり
して歩きにくかった。今回はカミさんと雪の末森城跡を散策しようということでやってきた。押水バイパス
(国道159号)の上を橋で横切ると、史跡末森山古戦場の立派な碑がある。テレビドラマとなって放映
されたので建てることになったとある。橋の手前には「城の説明」を記した看板があった。
記念碑のところから坂となり、すぐに草木の写真と名前を記した立て札が目に付くようになる。前回来た
時には無かったものだ。その数が多い。百以上あるらしい。そのうちにカミさんが歓声をあげ始めた。タラ
の木がやたらとあるのだ。タラノメが出る時期にここまで来ることはないと思うのだが。
草木の写真と名前を記した標柱が沢山建てられている
やがて雪が多くなり、固い踏み跡に足を合わせて登る。たいした時間もかからず本丸跡に到着。木立の
間から今浜方面の海岸が見下ろせる。砂浜を車で走れる渚ドライブウエイが在るところだ。植林された杉
が成長して、残念ながら宝達山は見えなかった、昔はきっと見通せて狼煙でもあげていたのではなどと
想像するのだ。本丸の真ん中辺りに「本丸及び主要郭の説明」や城郭の図面がある。
本丸跡 カミさんが見ているのは説明板 何処か雪の下に三角点もあるはず
本丸跡から望む今浜方面の海
本丸の下に二の丸、三の丸とあり更に若宮丸がある。雪に足跡があったのでそこへよじ登ると、やはり
平らな台地で、その下にも又其の下にも台地があった。沢山の建物が在ったのだろう。末森山合戦の時
この城を死守していたのは奥村永福率いる500人程だったという。利家の率いる数千の援軍の奇襲に
より1万5千の成政軍は撤退を余儀なくされた。この合戦の勝利が、後の加賀百万石の支配につながっ
たと云われる。
若宮丸から杉の枝打ちや間伐をしている傍を通って元の道へ出た。雪の上の城跡散歩は1時間10分
ばかりだった。なかなかいい散歩道だし、隅から隅まで歩いてみたい気もする。この散歩道は歴史の事
から草木のことまで、とても勉強になる道だ。
(’06年1月21日)
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