還暦つれづれ草


近所の散歩・その2

韓国から帰ってからはパソコンばかりいじっていたので 運動不足になってしまった。 昨日は久し振りに
健康の森を1時間半程歩いた。そのせいか気持ち良く眠れたので、今日も歩くことにして、まだ歩いたこと
のない片山地区の神社や遺跡を巡ることにした。家から歩いて行ける所なのだ。

杖も兼ねて傘を持って出掛ける。団地を出て歩いていると車ばかりが目に付いて、歩いている人を見か
 ける事はまず無い。片山トンネルの手前、盟友技研の前を西へ、いい道路だが車の通りは極めて少ない。
今回は稚拙ですが手書の軌跡です。そのは、石造五輪塔

 

言い伝えとして虎御前(曽我兄弟の兄の恋人)が、兄弟の供養のために建てたとのことです。

は、道路から離れた田圃の端に石仏があった処です。屋根付きの石仏のほかに、水の出ている処に
もう一つ、怖い顔をした不動明王の様な石仏がありました。その次はですが、その間にもお地蔵さんが立
 っていました。の処にもお地蔵さんがいて、横が林道入り口みたいで、山からここへ降りて来たところです。

それから鳥居の処です。 これが八幡神社で 石造の「八幡神社古式鳥居」のある所。小さい方の鳥居が
それで、石造りでこの様に小さい物は初めて見ました。もっとも今迄に鳥居を見に行くということはありません
でしたが。

 

八幡神社の境内を抜けて急な坂を登ると、の「方山真光寺跡塔址」があります。





真光寺跡塔址から踏み跡を辿って真っ直ぐに山を登ります。とても細い踏み跡になると間もなく頂上という
様な祠のある処に出ます。実はここから先のにかけては、方山真光寺城跡ではないかと思うのですが
何も標示物はありません。 痩せ尾根を登ってへ向かうと峠みたいな形状の処がありましたが、これはどう
やら城の防備のための堀切跡なのでしょう。 すぐその上が広場になっていて社が建っていました。 ここにも
何の標示もありませんが、ここが本丸跡ではないかと思われます。


の処の祠


の本丸跡と思われる処の社

私は歴史には疎いので詳しいことは判りませんが、富田長秀の家臣で増井甚内という人の城だったそうです。
時は戦国、朝倉軍と織田軍が対峙していたりしたのですが、この城は一向一揆によって落城したとのことです。

その先で、踏み跡を見逃したのか、方向の誤りに気がついたのですが、雨が降ってきたので道の無いところを
藪に邪魔されながらの処へ降りました。 ほんとは片山トンネルの上を歩きたかったのですが、またの機会に
して、雨も止んできたので今日はトンネルを抜けて、ぐるっと回って朝宮橋の袂を通って家に戻りました。歩いた
時間は3時間でした。


の処の石仏




(’07年 12月 22日)

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の道から離れた処にあった石仏、上の写真の水が出ている処が下の写真です


上から見る 方山真光寺跡塔址 すぐ下の屋根は西光寺