還暦つれづれ草
韓国で孫に会って来ました・その3
旅行会社のガイドさん
今回は夫婦でツアーを申し込んだので、韓国の仁川空港では旅行会社の人が迎えてくれる。
そしてホテルへ送って
くれることになっている。 そのため空港で目に付き易いように、紅い紐のついたボールペンを首からぶら下げることに
なっていたのだ。
仁川空港の到着出口には、沢山の出迎えの人達がいたが、それらしい集団は見当たらない。ガイドさんに迎えられ
たのは我々だけだった。 他の飛行便で来た人もいなくて、そのまま自動車でホテルへ向かうことになる。途中土産
物屋「紫水晶」の店に寄らなければならなうということだった。我々二人だけだからと省略する訳にはいかないのだと
云う。その店は、外見からは判らないビルの地下にあった。ツアー客専門の店みたいだ。
ここに寄るのも安いツアー
参加者の義務なのだ。
ガイドさんは、昭和34年生まれだそうで、昭和で言うくらいなので日本語が達者だ。何人姉妹の何番目だったとか
旦那は主夫をしているとか、晩婚だったので子供はまだ小さいとか、ホテルまでの車の中でいろいろ話しをしてくれた。
ツアーガイドの仕事も、話を聞くとなかなか大変そうだ。一日に何回も街中と空港を往復し、客をホテルへ送り
ホテル
へ客を迎えに行く。それも朝早くから夜中まで、いつも時間が決まっている訳ではない。
我々は、仁川空港着は午後2時5分ということだったが、帰る日は午前9時10分発で、ガイドさんがホテルに迎えに
来たのは朝の5時40分頃だった。 それからもう一軒別のホテルへ回り、6人のおばさん方を載せて空港へ向かう。
その間にもお土産屋に寄らなければならない。まだ外は暗い。何の変哲もないビルの地下に土産物屋はあった。
すでに別のグループも着ていて、グループ毎に説明用のテーブルに座って、各種キムチなどの説明を受け試食など
をしていた。説明が終わるとキムチなどはそこで買わせる。 あとは店の中で辛子チョコレートなどを買いまくるのだ。
その間、ガイドさんはガイドさん同士で話しをしていて、目が合うとにっこりして、無理して買うことはないよと言ってい
るようだった。
今日は順調だと思う。時には約束の時間にホテルへ迎いに行っても客が出て来ず、待つのにも限りがあり、最悪の
場合、他の客に迷惑が掛かるので、そのまま置いて行くこともあるのだという。同乗の6人のおばさん方は勿論日本
の人達で、話の内容から「追っかけ」をしている人もいるらしい。漢江ともお別れだと何回もつぶやいて感傷に浸って
いるふうな人もいた。
空港へ着くと、まず我々二人を降ろし搭乗手続きを済ませた。ツアー用のカウンターなのか、並ばずにすぐに済んで
ガイドさんとはそこでお別れになった。ガイドさんは小走りに待たせている車へ走り去っていったのだ。残りの6人の
おばさん方を、成田行きの別の航空会社のカウンターへ案内するのだろう。
それから我々は少し時間があったので、混雑する店に入って朝食を摂った。私は早く食べられる様に「マグロまき」
4000ウオン、海苔巻きだが酢飯ではない。カミさんは「ワカメ汁定食」8000ウオン。空港は値が高い。日本以上に
高い。で、飛行機が飛び立ったらすぐに、朝食の 具を沢山挟んだパンが出てきたのである。
今日もあのガイドのおばさんは、小走りに元気にあちこちと飛んで回っていることだろう。
(’07年 12月 7日)
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