還暦つれづれ草


近所の散歩

寒気が流れ込んだとかで、今日10日(日)は晴天の予想から少しズレてきた。 カミさんと山歩きの
予定をしていたのだが中止にした。 それで燻製チーズ用のサクラのチップを買うついでに、そのホーム
センター近くの古墳を見に行った。旧清水町役場の横手にある。






金井神社 この上が古墳

弥生時代後期中頃のものと云い、小羽山30号墓と呼ばれる。ただ芝生の小山があるだけなのだが、
金井神社の上にあって竹林に囲まれた雰囲気の良い処だ。散歩には短すぎるので、その上の方も偵察
してきたら、茶臼山○大権現というお堂があった。○のところは読めなかったのだ。

その帰り我々の団地の近くに、前々から気になっていた階段があったので、急な階段だし少しは運動
の足しになるかと登ってみることにした。手前の横道に車を置いて階段に向かうと、小さな石仏が二体
あって、一体には昭和七年七月と刻まれてある。今から75年も前に置かれたのだろう。その横には何
かの残骸か、シャク谷石と思われる石が無造作に放置されてある。

 
昭和七年七月と刻まれた石仏                             竹生バス停の処の階段

そしてすぐに竹生(たこう)のバス停があって、そこから苔むした急な石の階段がある。上り口の右側
には、竹生古墳群と書かれた白い標柱が立っている。左側には「霊山 猿ケ堂」と刻まれた、大きな
丸みを帯びた石が置かれていた。


階段上り口左側にある

石段は苔むしているのと少し斜めになっている物もあって慎重に登る。登り切ると、鈴とそこから太い
紐が垂れ下がっている。立派な瓦屋根と四本の柱だ。そこからは右に50mか60m進み、今度は左へ
山を登る。まもなく新しそうな石の祠と云うのだろうか、がある。 その上にお堂と云うのか、前に二体の
狛犬ならぬ猿の石造が置かれていた。 猿ケ堂と云う訳がこれなのか。左の猿は、小猿を抱いていた。
何か由来があるのだろう。今度地元の図書館に行ってみようと思う。


猿ケ堂

古墳群があると云っても、最近は整備されているとは思えず、林の中へ分け入る気にもならず、新しそ
うな石の祠の先へ薄い踏み跡を辿って反対側へ降りた。道らしい道では無くなり、降り立ったのは整形
外科医院の駐車場の一角だった。散歩としては短いものだったが、身近なところにひっそりと残されて
いるこの様なものに、昔の人達がどのように関わって来たのか、興味をそそられたのである。

(’07年 6月10日)

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