福井の小さな山歩記


三角点下若生子と若生子坂

最初の計画では、麻那姫湖岸から送電線の巡視路を辿って登るつもりだったが、以前から確かめたかった
若生子峠の場所を確かめようと思って、森山スキー場から歩くことにした。ゲレンデに車を置いて林道を歩き出し
たのは8時半頃で、ゲレンデからは山菜採りのおばさん方の声が聞こえて来る。

 
林道のゲート(入山厳禁とある)とその横にある二本松の由来

すぐに「二本松の由来」の看板が立っていて、ゲートがある処に着く。ゲートは閉まっていて入山厳禁となって
いる。その「由来」には「此の地は昔、西谷街道で若生子坂と称した。牛に荷物を積み、人々が盛んに通行した」
とある。此のゲートから始まる林道が、牛が荷物を運んだ昔の若生子坂と思いがちだが、そう言っている訳ではな
い。 林道が出来ると車で上がれるので歩く峠道は使われなくなり、林道が尾根を越える処が峠と呼ばれることに
なる。


林道から見下ろす麻那姫湖

林道をどんどんと登って行く。手元の地図には林道のすべてが記載されている訳ではない。この林道は尾根を
 越えて麻那姫湖岸まで達しているし、笹又峠へも繋がっている。 下から歩いて登る人はめったにいないと思われる。
1時間程でこの林道の峠部分と私が考える処に着く(002地点)。 左へ道が分かれている。 そこを過ぎると左下に
麻那姫湖が見下ろせる。やがて三角点のあるピークの北東部分へ回り込む道みたいな処へ曲がり、その終点から
薮の斜面に取り付いた。足元が悪いだけでたいした薮ではなく、歩きやすいところを選んで登って行くと自然に頂上
へ出られた。ちょうど正午近くになっていた。


二等三角点下若生子 860.6m

見晴らしは良いが、今日はぼやっとしている。山頂部は広いが草や低い灌木などで覆われていて、三角点に
腰を降ろして昼食とした。例によってビールを飲みながらコンビニのおろし蕎麦を食べた。とろろ蕎麦がこのところ
いつも売り切れていて買えないでいるのだ。 私はこの山は「若生子山」と勝手に思っていたら「馬じゃくり山」と
載っていた印刷物があった。馬がしゃっくりでもしたのだろうか。

三角点から林道への戻りは小さい尾根の上を辿ったら、とても歩きやすく簡単に林道へ出た。途中、5月2日の
賞味期限の柏餅3ケ入りと記された透明なタッパが落ちていた。山歩きかワラビ採りか判らないが、ここまで来る
人がいるということだ。林道を車で来たとのだとは思うのだが。

林道をずっと戻って002地点から横道へ入る。上杉喜寿著「峠のルーツ」で若生子峠は、この先のコワカ谷の
上の鞍部にあることになっている。何処が登り口だったかが判らないので、峠だけでも確かめてみたかった。すぐに
右へ降りている舗装された道があるが、降り口部分で陥没していて、どこまで行けるかは不明だ。更に先へ進むと
これもすぐ近くだったが、ブロック製の祠にのっぺりとした石が祀られていた。 傍には大きな樹が枝を広げていて
その横から深く掘れた道が下っていたのだ。まさにここが峠だという雰囲気の処だ。


林道が横切って峠の姿も昔とは変わってしまったことだろう(005地点)

織田信長の越前一向一揆討伐の戦いがこの周辺で繰り広げられたし、江戸中期、大野郡内に美濃郡上藩領が
置かれていたため、毎年沢山の年貢米が牛の背に積まれてこの峠を越えて運ばれたのだ。その歴史の道も荒れて
歩けそうにない。ここへ来る手前で会ったワラビ採りのおんさんは、こちらの方から牛首(牛頸?)に降りられると言っ
ていたのだが、その地名が何処にあるのかさっぱり判らない。判れば一度そこから歩いてみたいものだ。

 (’07年 5月 8日)
2万5千分の1地図 「荒島岳」「中竜鉱山」 森山スキー場のゲレンデに車を停めて8時30分に歩き出し
11時45分に三角点に到着。
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---- 参考までにGPSでの軌跡です ----
「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)
を使用したものである。(承認番号 平17総使、第657号) 」
下図は2万5千分の1の縮尺ではありません。
 001地点は森山スキー場のゲレンデ内の林道に車を停めた処、002地点はこの林道での峠ではないかと思う
処、003は二等三角点下若生子、004地点から舗装された道が下っている、すぐに陥没していて通れるかどう
 かは不明、005地点はブロック製の祠に石仏の様なものがある峠らしい処、深く掘れた道も下っている様子だ。