還暦つれづれ草


越前海岸の雲丹(うに)が来た

先程、カミさんのおふくろさんが、貴重な越前の雲丹を届けてくれた。ご多聞にもれず、収穫量は年々
減少して、ますます貴重な物になっているようだ。寿司や丼に載せて食べる北海道のウニと違って、塩
で固めた様なもので、ねっとりとして濃い味がする。
カミさんは勿論海岸育ちだから大好きで大喜びだ。 おばあちゃんはだいぶ奮発したのだろう。 今年90
才になるのに元気で、いろいろと気を回してくれて有り難いことである。


以前は緑の葉っぱに包まれてこの箱に収められていた

いつもカミさんの弟が、おふくろさんを車で連れ回してくれているのだが、その弟は塾の先生をしていて、
おばあちゃんがボケないように小学生がやる足し算や引き算の問題集をおばあちゃんにさせたのだという。
今もさせているかどうかは聞いてないが、そうしたら、おばあちゃんが、「親をアヤにするのか」と言って憤慨
したとか。

「アヤにする」というのは、「馬鹿にする」と云う意味だと思う。今はあまり使わない言葉だが、なんだかこう
云う言葉を聞くと懐かしいというのか、子供の頃を想い出させてくれる様な感じがして面白い。90才になって
も、さすが私のカミさんを育てたおふくろさんだと思うのである。

(’06年7月29日)
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福井新聞 8月12日(土)の文化生活のページに、
若越おさかな食文化誌A「越前雲丹・江戸時代は天下の3珍味」と云う文が掲載された。
(文・吉中禮二・県立大生物資源学部教授)
ちょうどタイミングがいいので、かいつまんで紹介させて頂くことにしました。 適当に要約して
ありますので、新聞がまだあるのでしたら、そちらをお読み下さい。

『 ウニの生殖巣でつくった製品「うに」は、漢字で雲丹、海丹を当て「うに」と読みます。 各地の縄文遺跡からも
  ウニの殻が出土されているので、先史時代から食用としていたのは間違いない。平城京跡から出土した木簡
から、奈良時代には「うに」が若狭三方から、朝廷へ献上されていたことがわかる。
  平安時代中期の法典「延喜式」に、諸国に産物を納める税・調(ちょう)としてウニを貢ぐことが定められていた。
江戸時代には、天下の3珍味として、肥前のカラスミ、尾張のコノワタと共に越前の雲丹が著名であった。 
 「日本山海名産図会」(1799年)には、「・・・・・・越前の物は、ねばりありてつやも他に越えたり。また、物に
調味して味噌にかえて一格の雅味あり」と越前産のねり雲丹を絶賛している。
  浜から年貢として福井藩に納められた塩雲丹は、松平家御用達の「天たつ」で加工され、軍事用の保存携帯食
     に、あるいは朝廷や幕府各藩への贈り物に使われ、庶民の口には入るものではなかった。
   越前雲丹の原料であるバフンウニの漁は、本県では7月21日から8月20日までの僅かな期間だけ解禁となる。
  近年、漁獲量が少なく値段も高い雲丹は、いつでも食べることの出来る御馳走ではない。でも、豆粒ほどの大き
            さでよい。じっくりと味わってみよう。濃厚は越前雲丹のうま味が口中に広がってくるだろう。・・・・・・・ 』

おわり