福井の小さな山歩記


カミさんと赤祖父山 (富山県)

赤祖父山は、2万5千分の1地図「城端」の右下の方に名前が見えるが、ここには三角点も標高の記入も
ない。そこに行ってみると標識も無い。そのすぐ上に扇山(1033m)があり、これを含めて赤祖父山と云う
らしい。今回この山へ登ってみたいと思ったのは、道宗道(どうしゅうみち)と云う昔から伝えられている話と
共に一部手入れのされた道が残っているとあったからだ。能登の峨山道と似ていると思ったのだ。


ここが登山口 すぐに土砂崩れの処に

福光ICからトナミロイヤルゴルフ倶楽部を目指し、林道を上がって手前に傾いている「水をはぐくむ保安林」
の看板の処が登山口で、前が広場になっている。
 登り始めるとすぐに土砂崩れで、杉の木が倒れている。まだずぶずぶの土砂の上に深い足跡が登っている。
昨日(日曜日)のものらしいが、それに釣られて登るとアレ〜と云うことになる。土砂崩れの左側に道が上が
っているのだ。

歩きやすい道をしばらく登ると、尾根を真っ直ぐに登ることになる。深く掘れた急な道が続く。杉の植林が続く
が、カミさんが目ざとくタラの芽を見つけた。道端の物は採られていたが、カミさんは道を外れて採っている。
そうなると今晩もまた天ぷらか。ワラビのおしたしはずーっと続いているし。

急登を登り切ると少し雪の残る作業道に出る。ここまで1時間40分程。いままで左手に見え隠れしていた
散居村が眼前に広がる。見晴らしがよく、ここで大休止とする。そこから扇山へ続く稜線までは短いが、急で
道は良くない。ほんの少し残った雪が融けてぬかるんでいる。稜線へ出ると急に快適な道となり、少し歩くと
杉がブナに代わり、その先は全山ブナの新緑の中を歩くことになる。


広い尾根道 道宗道として手入れがされているのだろう

道には雪が現れるが、雪の無いところは、とても歩きやすい手入れのされた感じの良い道があった。西赤尾
に行徳寺を開基した僧 道宗は、師と仰ぐ蓮如上人が井波の瑞泉寺を訪れたときは必ず瑞泉寺に参詣した
と云われ、その時歩いた西赤尾から井波までの尾根道およそ32kmの道を道宗道と呼ぶそうです。500年
も前に、雪の降る中でもたった一人で瑞泉寺まで歩き通した赤尾道宗は、きっと強靱な意志の持ち主だった
のでしょう。現在でも全部を歩き通せるとのことです。


扇山1033m 雪の上から写す

稜線へ出て20分で残雪の扇山の標識に、そこからまた20分、残雪を少し登ると少し広い雪面に出ます。
ここが地図の赤祖父山と表示されている辺りで、右に雪の無い道があり、枝に下がっていた板に展望峰と
あったので、その先の高見で食事としました。実は板をひっくり返して見ていたのか展望峰は全く逆の方向
だったことが、家でガイドブックを見て判った。雪が無ければ道がそちらへ続いているのでしょうがね。


食事をした処 後ろは赤祖父池、ゴルフ場、散居村が見下ろせる

カミさんはおかしいと思ったと残念がっていたが、まあ初めての山ばかり歩いているのだから、雪のときには
よくあることです。 戻りは稜線に出た処を通り越して大寺山へ尾根を辿った。 杉が倒れていたりしたが、歩く
には問題はない。 しかし、作業道(林道)に出ると向かいへ踏み込む気にならず、そのまま広い道を歩いて
大寺山の三角点の近くまで行った。どんな処か判ったし別に三角点を確かめる様な処でもないと、カミさんが
タラの芽を採るのを待って帰ることにした。往きに作業道で大休止したところまで荒れた作業道を歩き、そこ
から下山した。9時頃から歩き始め、車に戻ったのは午後3時だった。


大寺山への林道から見る扇山


 「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)
及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。  (承認番号 平17総使、第657号) 」


カシミール3Dにより作成しました。上図の経緯度線は日本測地系で表示されています。
2万5千分の1地図「城端」  大寺山からポイント002までは作業道を歩いた軌跡です。
「赤祖父山」の左、004地点で食事をした。「赤祖父山」の右下 の小ピークが展望峰らしい。

(’06年5月15日)
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