福井の小さな山歩記


柳ケ瀬山から行市山

刀根越は2回も行ったが、敦賀側からは峠歩きをしたとは言い難い短い距離だ。そこで今回は柳ケ瀬
からの峠道を歩き、カミさんを玄蕃尾城跡にご案内する。ついでに戦国時代末期に山の上の砦と砦を
結んだ軍道が在ったという尾根を歩いて行市山へ行き、ぐるっと廻って来ることにした。

刀根越(久々坂峠)は、柳ケ瀬側では倉坂峠と呼んでいる。柳ケ瀬集落の北の端、峠道の入り口に
下の写真の石碑がある。「右えちぜん かがのと道 左つるが 三国ふなのりば」とある。これは明治
16年1月に建てられたと裏にあった。ここから国道に出た処に車を置いて歩き出した。



案内の標識に従って登りに入ると、道は広く緩やかにじぐざぐに登っていて、とても歩きやすい。風が
あって涼しく、気持良く歩けた。カミさんのアケビ探しは、峠道では手の届かない処に見つけただけだ。
45分程で倉坂峠(刀根越)に着く。 カミさんを玄蕃尾城跡へご案内する。いつもと変わらぬ佇まいだ。

10時半に柳ケ瀬山を後にして行市山を目指すことに。峠からは急な登りで、そこでカミさんがアケビを
発見、収穫。これでは先行きどうなるか心配になる。40分くらいは刈り払われた道だったが、少し登り
の辺りから普通の細い道になる。やがて道は笹藪に覆われて、かき分けながら進む状態が続く。展望
は最初の内は全然無くて、ただ黙々と歩くだけだ。

急な登りは無いので淡々とあるいていたが、別に軍道の跡らしいと云う道ではなくて、あの赤い樹脂の
杭が立っている県境界をあくまで辿っているという感じだ。所々、道の東側に木の少ない幅広の割と平
らな部分が続いていて、これが軍道の跡かなと思ったりしたが、そんな昔の道跡が残っているものなの
か判らない。


この笹藪の下の細い踏み跡を辿る こういう処が多い

小さなアップダウンが幾つかあって、今度が頂上かなと思っていると、まだ先に山が見えて来たりする。
やがて、あと400mの標識があって、やっとかと思ったら木が伐採され、笹藪が刈り払われている広い
所で踏み跡を見逃してウロウロとしてしまう。もう12時半にもなっていて、ここは明るくて気持が良いの
でここで昼食にした。例によってコンビニのとろろ蕎麦でビール(大豆の)を飲んだが、とても美味しい。

食事をして落ち着くと、道?(進む方向は)はすぐに判り、しばらく道の無いようなところを進むと行市山
の頂上に到達した。三角点の処に来てすぐ、ザックを降ろすか降ろさないうちにカミさんの携帯電話が
なった。ゴルフ仲間のおばさんからで、たちまちカミさんの大きな声が行市山の山頂に響き渡ったので
ある。チェーンソーの音もかき消される様に思われた。


行市山頂 右の方から歩いてきた

あとは下るだけで、やはり登山道は歩きやすいなどと言いながら下る。上の方にはアケビは無くて、半
分以上降りたところで、ついに発見少しばかり収穫する。 そして次ぎに「おおっ」とうなる程大きいのが
幾つも開いているのが見つかって、私が枝に掴まって採ろうとしたら、なんと中身が落ちていて空なの
だ。おまけにそこに見えた物はみんな中身が落ちて空だったのだ。

行市山頂は佐久間盛政の陣地跡だが、下って行くと前田利家・利長父子が築いた別所山砦跡があり
さらに下ると、中之谷山の原彦次郎長頼の砦跡、小谷山の不破彦三勝光の砦跡があった。

そんなことで下っているうちに、何やら道が荒れていておかしいなと思っていたら、毛受兄弟の墓の処
ではなくて、大水別神社というところに出た。まあ、国道365号線に出るところは一緒だからどうという
ことはないのだが。そこから国道を45分ばかり歩いて、柳ケ瀬集落外れの車に戻った。 歩き始めて
から7時間経っていた。 やれやれ、今日はよく歩いたなという感じだが、急な登りがない分心地良い
疲れだ。但し、舗装道路を長いこと歩くと膝にくるみたいだった。

('05年10月20日)



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